山頭火
瑞泉寺 この地で山頭火が詠んだ歌が刻まれた碑が建てられています。

 平成8年、夏の高校野球甲子園大会決勝で、「奇跡のバックホーム」と称されるプレーが生まれた名試合を、愛媛県の松山商業と熊本工業が演じました。その20年後、夏目漱石没後100年に当たる平成28年の11月26日、熊本地震の復興支援イベントとして、両チームの当時のメンバーにより藤崎台球場で試合が行われています。
 野球がらみで松山といえば、「野球の普及に多大な貢献をした」として野球殿堂入りしている、俳人・正岡子規の故郷です。子規の友人の漱石は松山中学を退任後、熊本に来て約4年3カ月間を過ごしました。
 種田山頭火も、熊本市と松山市に縁がある人でした。明治15年、山口県防府市に生まれた山頭火が熊本に来ることになったのは、父親がつくった借金からの夜逃げによるものでした。大正14年2月に、中央区坪井の「藤崎宮北」交差点近くの報恩禅寺で出家し、翌月に北区植木町の瑞泉寺、通称「味取観音」の堂守として1年2カ月間を過ごしました。ここで学んだ托鉢の作法が、「行乞の旅」で役立つことになります。
 「分け入っても分け入っても青い山」。有名なこの作品は、瑞泉寺を離れた月に詠まれました。前書きがあります。「大正十五年四月、解くすべもない惑ひを背負うて、行乞流転の旅に出た」。
 その後、旅を続けた山頭火は、松山城(松山市)の1 kmほど北に「一草庵」を設けました。その最期は、昭和15年に一草庵で仲間との句会の最中に迎えたといわれています。

参照:第3回 熊本市内の文学

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