乃木大将
乃木大将記念碑 乃木はこの地で軍旗喪失のことを知らされました。

 東京・赤坂に乃木坂があります。この坂の名前の由来は、もちろんアイドルグループではありません。坂道沿いに住んでいた、乃木希典という明治時代の軍人によるものです。
 乃木は江戸末期の嘉永2年(1849年)に江戸の長州藩邸で生まれ、萩(山口県)の明倫館で学びました。23歳の時に東京で御親兵隊に勤務することになったのが、軍人としての長い生活の始まりでした。
 西南戦争が勃発したのは、その6年後の明治10年です。乃木は援軍のため、部下の河原林雄太少尉らを引き連れて、小倉(北九州市)から熊本城へ向かいました。あと10 kmほどで到着という向坂(北区植木町)で薩摩軍と遭遇し、一進一退の攻防の後、撤退を決めます。その際、河原林に託した軍旗が、薩摩軍に奪われてしまいました。乃木が29歳の時のことです。その後、日清・日露戦争などに従軍し、さらに陸軍大将にまで上り詰めるものの、軍旗喪失のことは文字通り、死ぬまで癒えぬ大きな心の傷となりました。
 乃木は学習院院長だった大正元年9月13日、明治天皇の大葬で棺が宮城(皇居)から出発する際の号砲を合図に、現在の乃木坂沿いの自宅で静子夫人とともに自刃しました。64歳でした。遺言の最初に記されていたのは軍旗喪失のことです。
 かつて勤めていた横浜の会社に、学習院大学出身の女性がいました。ある日の飲み会でこの話をすると、「へぇー、そうなんですか。お詳しいですね」と笑顔で言われて、会話が途切れたことがありました。

参照:第10回 熊本市内の明治動乱

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