アクセス:目鏡橋前(朝倉市秋月)

移動手段:徒歩
モデルコース:目鏡橋前 → 田中天満宮 → 杉の馬場 → 長屋門

杉の馬場
四季折々に豊かな彩りを見せる杉の馬場。

 関ケ原の戦いにおける戦功により慶長5年(1600年)、筑前国は黒田氏が支配することとなった。福岡黒田藩初代藩主・長政の遺言により3男の長興に5万石が与えられ、元和9年(1623年)に福岡藩の支藩として秋月藩が誕生した。
 翌年に陣屋形式の秋月城が置かれ城下町が築かれた。標高860メートルの古処山などの山々に取り囲まれた町並みには落ち着いた雰囲気が漂い、地割りは当時のまま現在に受け継がれている。
 朝倉市の中心部から国道322号を北上し、野鳥川をさかのぼるように進んで行くと、城下町の入り口にあたる場所に目鏡橋が見える。
 直線状に延びる緩やかな上りの勾配の道沿いでは、江戸時代に建てられた石田家住宅などが城下町の面影を残す。通りから脇道に入れば、明治9年の秋月の乱で旧藩士が決起した西福寺跡や田中天満宮がある。
 目鏡橋の前から700メートルほど進んだ所で右に入り、野鳥川を越えると桜並木の道。藩政時代、秋月城に登城する際に使われたこの道は、馬術の訓練場にもなり、杉の大木があったことから「杉の馬場」と呼ばれていた。当時、この通り沿いには武家屋敷が立ち並び、秋月城や「梅園(うめぞの)」と称された藩主の館などがあった。
 秋月城で唯一、当時の場所に残されているという長屋門や、黒田氏以前にこの地を支配していた秋月氏のころから受け継がれている黒門などに、往時の面影がうかがえるようだ。

長屋門
かつては秋月城の裏手門として利用されていた長屋門。
城下町
目鏡橋の前の通りから秋月橋を渡れば武家屋敷も残る。

秋月黒田藩々主名

初代長興(ながおき)
第2代長重(ながしげ)
第3代長軌(ながのり)
第4代長貞(ながさだ)
第5代長邦(ながくに)
第6代長恵(ながよし)
第7代長堅(ながかた)
第8代長舒(ながのぶ)
第9代長韶(ながつぐ)
第10代長元(ながもと)
第11代長義(ながよし)
第12代長徳(ながのり)

参考資料:『わたしたちの朝倉』朝倉市教育委員会、他

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