アクセス:西鉄太宰府駅(太宰府市宰府)

移動手段:徒歩
モデルコース:太宰府天満宮→観世音寺→大宰府政庁跡

大宰府政庁跡
大宰府政庁跡と四王寺山。3本の石柱が立つ場所が正殿跡。

 「ダザイフ」の漢字表記には2つあり、律令時代の大宰府政庁関連については「大宰府」、中世以降の地名や天満宮については「太宰府」と、一般的に区別されている◆大宰府政庁の始まりについては明らかではない。一説には、白村江の戦い後に水城や大野城などの防衛施設が築かれた頃、博多湾から15 kmほど内陸にあるこの地に、那津官家(なのつのみやけ)の機能が移されたことによりその歴史が始まったという◆国の外交・防衛の拠点と、九州の政治の中心地としての役割を担い、聖武天皇の頃に一時廃止され、平安時代が終わる頃に約500年間続いた律令制下の「大宰府」は終わったとされる◆ただし、鎌倉幕府の守護として下った武藤氏は、大宰少弐として九州を支配し、南北朝時代には南朝方の征西府が置かれるなど、その権威は残されていたという◆太宰府天満宮は菅原道真の墓所。道真は右大臣まで上り詰めたものの、左大臣の藤原時平の虚言により、昌泰4年(901年)、左遷されてこの地に来た。2年後に59歳で亡くなり、遺体を牛車で運ぶ途中、ウシが動かなくなった所に埋葬され、その墓所に社殿が建てられ太宰府天満宮となった◆太宰府天満宮と大宰府政庁跡の間は、「歴史の散歩道」という散策コースで2 kmほど。途中、東大寺(奈良県)および薬師寺(栃木県)とともに「天下三戒壇の一」と称された観世音寺や、武藤資頼・資能の供養塔などの見どころがある。

太宰府天満宮
道真を追って都から飛来したという御神木の梅の木。
西戒壇
天竺・唐・大和の土が納められている観世音寺の西戒壇。

参考資料: 太宰府市HP、他

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