アクセス:宗像大社辺津宮(宗像市田島)
移動手段:徒歩
モデルコース:宗像大社辺津宮 → 高宮祭場 → 第二宮・第三宮

『日本書紀』に天照大神による神勅が述べられている。「汝三神宜降居道中奉助天孫而為天孫所祭也」。「大陸との交通の要衝である玄界灘に降臨して歴代の天皇を守護奉り、歴代の天皇から篤い祭祀を受けよ」との意味とされる。
釣川河口から約3キロメートル上流に辺津宮(へつぐう)が立ち、沖合約10キロメートルの玄界灘に浮かぶ大島に中津宮(なかつぐう)、さらにその50キロメートルほど北側の沖ノ島に沖津宮(おきつぐう)がある。宗像大社は3つの宮の総称で、それぞれ市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)、湍津姫神(たぎつひめのかみ)、田心姫神(たごりひめのかみ)を祭る。
弘治3年(1557年)に焼失した辺津宮の本殿は天正6年(1578年)に、拝殿は同18年(1590年)に再建されたもの。境内の第二宮と第三宮には分霊が祭られており、辺津宮と共に参拝すれば三女神全てを参ったことになるという。
宗像大社の大きな特徴の1つが、神道初期の祭祀の姿を今に継承していること。社殿が築かれる前の形態である、神籬(ひもろぎ)・磐座(いわくら)による祭祀を行う、全国的にも稀な古代祭場が現存する。
市杵島姫神の降臨地とされる境内奥の高宮祭場は、沖ノ島とともに最も神聖な場所。囲いの中の樹木が神籬で、現代でいう本殿に当たる。
沖ノ島の社殿北側にある巨石群では、23か所に及ぶ大規模な古代祭祀跡が確認された。古墳時代から平安時代にかけて行われていたものと見られ、巨石の周囲からは、後に国宝に指定される約8万点もの奉献品が発見されている。


参考資料:HP「宗像大社」宗像大社、他
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