アクセス:五家荘平家の里(八代市泉町)
移動手段:クルマ
モデルコース:五家荘平家の里 → 緒方家 → 左座家

伝説によると平安時代の中ごろ、菅原道真の子・菅宰相が左座(ぞうざ)太郎と名を変えて仁田尾(にたお)に住み、数年後に弟が菅次郎を名乗り樅木(もみき)に隠れ住んだ。
文治5年(1189年)には、平清盛のひ孫にあたる清経が緒方三郎と名を変え、主従6人でこの地に来て、久連子(くれこ)・椎原(しいばる)・葉木(はぎ)に住んだという話も残る。後にこれら5つの集落を総称して、「五家荘」と呼ばれるようになったという。
国道445号から県道159号に入り8キロメートルほどの所が樅木の「五家荘平家の里」。深い緑の中の敷地には、落人の暮らしなどを紹介する「平家伝説館」や能舞台などがある。国道445号を南下して平家トンネルを抜けた先に「緒方家」、県道52号を走れば「左座家」が立つ。いずれも江戸時代の建物で隠し部屋や囲炉裏などが往時の様子を伝える。
南北朝時代、南朝方の菊池武重により、小川町の塩売りが山奥の住人と取り引きを続けていたことが判明した。武重は北朝方の残党と見て軍勢を差し向けるが、筑後(福岡県)で北朝方による反乱が起きたことで中止となった。
明徳年間(1390~1394年)、人口増加や食料・塩の欠乏により阿蘇氏に助けを求め、その存在が世に知られるようになったという。
秘境と称されるだけに向かう道は快適ではない。特に国道445号で二本杉峠を越えるルートは、乗用車がすれ違うことが困難な道が続く。


参考資料:『泉村誌』、他
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