アクセス:下田温泉(天草市天草町)
移動手段:クルマ
モデルコース:下田温泉 → 十三仏公園 → 大江天主堂

『五足の靴』は、明治40年夏の与謝野寛(鉄幹)らによる旅行の紀行文。メンバーは35歳の与謝野と、20代前半の平野萬里・北原白秋・吉井勇・太田正雄(木下杢太郎)の5人。原稿は旅の途中に交代で書かれ、『東京二六新聞』に「五人づれ」の名で連載された。
文中の旅は広島の厳島から始まり、山口・福岡・佐賀・長崎を経て汽船で島原湾を渡り、富岡港(苓北町)に到着する。
8月20日の「蛇と蟇(がまがえる)」に、「目的はパアテルさんを訪うにある」と記されている。「パアテルさん」とは、大江天主堂のガルニエ神父を指す。吉井は「みんな杢太郎の熱意にひかされて、自然切支丹の遺跡探訪を主にしたような旅行になつてしまつた」という。
5人は富岡から天草下島の西海岸を大江へ向かった。下津深江(下田温泉)で休憩し、道に迷い、大江に着いたのは夜の10時。翌日、天主堂にパアテルさんを訪ね、聖像が彫られたメタルや十字架を見ながらキリシタンの話を聞いた。
午後2時、牛深行きの船で大江を後にした彼らは、三角・島原・長洲・上熊本などを経て阿蘇・画津(江津湖)を訪ねる。さらに三池・柳河・徳山・京都に立ち寄り帰京した。
下田温泉からは、『五足の靴』にちなむ約3キロメートルの遊歩道が山中に延びる。昭和7年に与謝野寛・晶子夫妻が訪れた十三仏公園から道を下ると高浜の町、国道389号を約5キロメートル南下すれば大江天主堂。


参考資料:五人づれ『五足の靴』岩波文庫、他
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