アクセス:八代神社(八代市妙見町)
移動手段:徒歩
モデルコース:八代神社 → 妙見中宮

明治期以降、「八代神社」と呼ばれるようになった妙見宮の始まりは、天武天皇の時代に妙見神が渡来して、八代市竹原の地に上陸したことによるという。一説に妙見神は、はるばる中国の明州(寧波)から、日本まで亀蛇に乗って来たと伝えられている。
延暦14年(795年)、横嶽山上に上宮が置かれ、永暦元年(1160年)に山麓に国司の平貞能が中宮を創建。文治2年(1186年)、現在の八代神社の地に、後鳥羽天皇の勅願により下宮が建てられた。
門前町が形成されるほど繁栄し、江戸時代には「国常立尊」や「妙見菩薩」などと称され、一般に「妙見さん」で通っていたという。
JR八代駅から東へ向かい、国道3号を経て県道155号に入り、600メートルほど進んだ所に八代神社(下宮)がある。大祭「八代妙見祭」は、毎年11月に開催される「九州三大祭り」の1つ。神幸行列では、獅子舞や鉄砲隊、「ガメ」の愛称を持つ亀蛇などが町を練り歩く。
下宮から中宮への神幸などは16世紀には行われており、豊臣秀吉支配のころに一旦途絶えたという。しかし寛永9年(1632年)の加藤氏改易後、八代城に入った細川忠興が御輿を寄進するなどして再興され、名代の松井氏に引き継がれた。
八代神社から妙見中宮へは、鳥居の前に延びる道を南へ向かう。300メートルほど歩くと水無川沿いの道。懐良(かねなが・かねよし)親王の陵墓の横を過ぎた先の木立の中に社がある。


参考資料:『八代市史』、他
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