アクセス:中尾山展望所(波佐見町中尾郷)
移動手段:クルマ
紹介スポット:中尾山展望所・中尾上登窯跡・やきもの公園

波佐見焼の始まりは安土桃山時代が終わるころ、下稗木場(しもひえこば)窯での陶器作りという。その後、三股地区で陶石が見つかったことにより磁器の生産が行われるようになった。
「陶郷」と称される中尾山周辺では、一説に正保元年(1644年)に始まり、今に続く。斜面に広がる町並みに、窯元ややきものを扱う店舗などが点在し、レンガの煙突やトンバイ塀などが陶芸の里の雰囲気を醸し出す。中尾山展望所からは、そんな町の様子を一望にできる。
最大の見どころは「中尾上登窯」の跡。全長約160メートル、部屋数33の巨大な登り窯は、世界でも最大級といわれる。大規模な窯ができたことで磁器の大量生産が可能となり、安価で供給され庶民に普及した。
「くらわんか手」は、江戸後期の波佐見焼の代名詞。大坂・京都間を淀川で往来する船の乗客に、「くらわんか(食べないか)」と声を掛け、餅や酒などを波佐見の器を用いて売られていたことから、そう呼ばれるようになったという。
幕末のころから大正期には、「コンプラ瓶」という、酒や醤油などの容器の生産が行われ、長崎港を経て東南アジアやヨーロッパへ輸出された。
中尾山から約3キロメートルの町の中心部にある「やきもの公園」では、「世界の窯」を展示。昭和45年ごろまで波佐見で最も活躍した「角型石炭窯」や、肥前一帯で使われた「連房式登り窯」、その他にも景徳鎮の「新窯」やイギリスの「ボトルオーブン」というとっくり型の窯など、様々な窯を間近に見学できる。


参考資料:波佐見陶磁器工業協同組合ホームページ「波佐見焼の歴史」、他
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