アクセス:月隈公園(日田市丸山)
移動手段:クルマ
紹介スポット:永山城跡(月隈公園)・豆田町・亀山公園

江戸時代の日田は天領、いわゆる徳川幕府の直轄領だったところ。
島原の乱直後の寛永16年(1639年)、支配体制強化のため代官所と代官の住宅を兼ねた日田陣屋、通称永山布政所が置かれ代官による支配が始まった。明和4年(1767年)には支配石高が17万石に増え郡代に昇格し、江戸末期には西国筋(九州諸国)の幕府直轄領のうち約8割を統轄した。
JR久大本線日田駅の北にある豆田町は、慶長6年(1601年)の丸山城(後の永山城)築城の際に形成された城下町が始まりで、商人の町として発展した。
日田の商人たちは代官と諸藩を取り次ぐ役割を担い、そのうち代官所の年貢米などの売上金である公金を管理したのが「掛屋」。掛屋は九州の大名などに「日田金(ひたがね)」と呼ばれる資金を元手に貸し付けを行い、これにより日田に経済的繁栄がもたらされた。
南北2本、東西5本の通りから成る豆田町の地割りは、ほぼ江戸初期のままという。瓦葺きの屋根と木の部分に土を塗り込んだ居蔵造りの建物をはじめ、酒蔵や洋館といった、江戸期から昭和初期にかけて建てられた商家などが並ぶ。
駅南側の隈町は、三隈川の畔に温泉宿などが集まるエリア。豊臣秀吉支配の文禄3年(1594年)、北部九州の交通の要衝だったこの地に、宮木長次郎が代官として送り込まれると、現在の亀山(きざん)公園に日隈城を築き、城下町を整備した。アユが解禁される5月から10月に行われる鵜飼いは、宮木が岐阜から連れて来た鵜匠により始められたというもの。


参考資料:天領日田資料館リーフレット、他
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