アクセス:葉隠発祥の地(佐賀市金立町)

紹介スポット:葉隠発祥の地

階段を上り詰めた所に立つ「常朝先生垂訓碑」。

 「武士道と云ふは、死ぬ事と見付けたり」の言葉で知られる『葉隠』は、江戸時代に著された全11巻から成る書物の名称。佐賀鍋島藩2代光茂に仕えていた山本常朝の口述や著書などを基に、3代綱茂と4代吉茂の祐筆役を務めた田代陣基がまとめたもので、『葉隠聞書』ともいう。
 文禄・慶長の役や関ケ原の戦いなどに従軍し戦国の世を生きた藩祖直茂や、島原の乱に出陣した初代勝茂、また平和な時代に生まれ育った光茂や綱茂の言葉などが述べられた、佐賀藩士のための修養書。
 光茂や綱茂の藩運営のあり方を批判し、直茂や勝茂にならうようにとの常朝の思いがこの書になったという。
 そこで強調されているのは、「武勇」「忠義」「孝行」「慈悲」であり、特に主君への忠義が重視されている。常朝が陣基にいずれ焼き捨てるようにと命じていた秘本だったが、藩士らによりひそかに読まれ、書きとどめられ、受け継がれた。
 常朝は、元禄13年(1700年)に光茂が亡くなると、出家して佐賀城の北約8 kmの金立山山麓に隠せいした。その10年後、陣基は役職を退いた翌年から常朝の住居近くに転居し、通ったという。常朝52歳、陣基33歳の時から約7年間続けられた。
 常朝の住居は黒土原と大小隈の2カ所にあった。黒土原は長崎自動車道金立サービスエリアの西約800 mの辺りで、「常朝先生垂訓碑」が立つ。大小隈の住居はその西1 kmほどの所にあったといわれ、陣基はさらにその南約1 kmの権現原の地に住んでいたという。

参考資料:『佐賀県史』、葉隠研究会『葉隠』、他

常朝が過ごした「朝陽軒」があったという。
長崎自動車道の高架を抜けたらすぐ左へ。

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